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でもアレはトゥナイダのライブのスタジオ・リハの時だったかな。
ドラムのチャンバーとギターのベルベチンがベースのテキサスにこう言ったんだよ
『テキサスはベース、要所要所で弾いてくれればいいから』
って。
テキサス、信じられなかったなー。
まさかベースという楽器のパートが、要所要所弾けばいいだなんて。
もとより『ベース』という言葉、語彙が用いられているケースで、要所要所でも可とされるニュアンスがまかり通るなんて。
そんな案配でトゥナイダは新高円寺クラブライナーでライブやってきたぜ
昔、ここはリッツという名前だった。
テキサスは個人的にこのハコで10年ぶりくらいにライブをやったぜ。
この日のライブ、不退転の覚悟で臨んだテキサスであったから、なんか入り時間の1時間前くらいに到着しちゃって不退転の覚悟だったからねテキサス。
そんでテキサス、ヒマしてて外に出るにしても寒いっつーんで他のバンドのリハを眺めたり、久しぶりのリッツであるライナーを眺めてたんだ。
やあ、なんだか随分懐かしいなあ。とそこのドリンクカウンターやら周囲の壁やら楽屋やらを見てまわった。
10年前と比べれば細かいとこは変わってるけど大まかな所は何も変わらないなあと思ってたら、ベルベチンが入ってきて
『うわー、内装だいぶ変わったなあ。客席狭くなった』
との発言。テキサスの認識と相違があったのでテキサスは
『あんまり変わってなくね?』
って言って、ベルベチンとの間で些かながら口論始まった。
しかし、ライブはわだかまりもなくプレーできて良かった。
ファビュラス。
この日、夕方過ぎ頃から東京は雪が降り積もったが結構お客さんも来てくれた。
来てくれた人達、どうもありがとうございます。
とにかく感謝します。
なにか忙しぶってたララバイはステージを終え程なくひとりで帰宅。
翌日に大分入りの予定があったベルベチンとテキサスも雪に畏れをなして全体の終演を待たずにライナーを後にする。
最後のバンドが相馬喜怒依を擁するバンド、プレグリコだったので見れなくて残念だった。
雪は、綺麗だった。
ライブの熱気がずっとあって寒くなかった。
小岩に到着後、忙しぶってたララバイんちにベルベチンと行って呑んだ。
次回のライブも精一杯頑張ります!
ゴキゲンよう!
結局いつもどうり
賢い人達に不安を煽られ
不安を煽られ
不安を煽られ
不安に駆られた俺達は
モノを買ったり
生命保険に入ったり
宗教に騙されたり
中国にムカついたり
安全なとこから、知らないうちに、戦争を支持したりするんだ
知らないうちに戦争を支持して
またノホホンと、知らないうちにノホホンと身の回りに石油商品を溢れ返らせる
俺達がいつもと同じような生活をただしてるだけで
世界には困ったり悲しむことになる人達が沢山いる
なんの因果かテキサスのライフのプランを立ててくれる人が身近にいるぜ。
なんの因果か。
ライフプランナーは昼夜曜日を問わず、テキサスの都合に合わせ足しげく我が家に通い、俺のライフのプランをナーしてくれるぜ。
テキサスは家の現状を事細かくプランナーに報告する。
そして将来の希望や理想とするライフの在り方を伝え、それが我が家の実情と沿っているかということを、ライフ・プランナーはあらゆるデータに照らし精査する。
三週に渡ったライフの話合いの結果、出た答えは、テキサス家の十年後の経済的破綻。
凡ゆる数字の見直しを迫られたぜ
真っ先に槍玉にあがったのが、テキサスが唯一希望するプラン
「わりかしちゃんとしたオーディオ一式を五年後くらいに買う」
という要望が、敢なく破棄された。
諦めて下さいだとよ…。フフフ…。
しかし、あのプランナーが示したあのグラフ…。フフフ…。
見事に解りやすく破綻を現していたぜ。
このテキサス、生を受けて三十幾年、曲がりなりにも、或はそれがなんとなく生き、ユラユラとボウフラのように流されてきた人生だとしても、結果的には積み上げてきたその全てをプランナーに報告したワケで、それらがこれから先の十年でどう結実するのかと言えば待っているのは、破綻。
チクショウ!
ライフ・プランナー?
なんだそれ!
なにプランナーだコンチクショウ!
ライフ・プランナーなどにテキサスのライフのなにがわかるんだ!
…などとは言わないぜ。
だって数字が、データが、冷静に物語っているもの。
甘んじて受け入れようじゃないか。
破綻を。
しかしなあ、テキサスの現状を事細かにライフ・プランナーに伝えたってさっき書いたけど、ひとつだけテキサスからライフ・プランナーに伝えてなかったことがあるんだぜ!
…そう、明日がライブだってことを!
ザマアみやがれ!
23.wed
新宿ROCK丁目
クワレアルギ(神戸)/死ぬまで生きるもんズ/ザ・チャンバーズ/一萬P/THE××ズ(青森)
op18:30/st19:00
前2.000(D別)/当2.300(D別)
我々ザ・チャンバーズは20:20分から!
皆さんには伝えたい。
我々ザ・チャンバーズは20:20分からレッドクロス!
よろしくお願いします。
ベルベチンは地元ではツートンとかビー君とか呼ばれていて、そのことを気に留めたテキサスだったかテキサスの妻がその呼び名の話題に触れたところ、確かなんか、テキサスはもう酔っ払っていたから良く覚えていないんだがツートンの親父さんが、今東京でツートンはなんと呼ばれてるのか問われたから「ベッチンです」と答えた。
ベルベチンはベッチンの正式名称っつーか、ベッチンよりも格式の高い呼称だから柔らかい印象のベッチンと答えたんだがそしたら、「なんでベッチンなんですか」と再度問われたのでベルベチンの戸籍上の本姓であるところが渡部でありますので、でありますからワタベッチンでありますという旨を述べた。
「そしたらみんなベッチンだ〜」
と、親父さんは、そこに居合わせた渡部家のみなさん、つまり渡部君、渡部君のお母さん、お姉さんに妹さん、姪っ子さん、それに新婦さんを指して言われた。
つまり父ベッチン母ベッチン、姉ベッチンに妹ベッチン。
更には嫁ベッチンもいた。
であるところの渡部家の手厚い歓待を受けて、渡部家の皆さん、本当にどうもありがとうございました。
そこに居合わせた渡部家と書いたけど、どちらかというとテキサス家が渡部家に居合わせているという雰囲気が濃厚で、ツートンが嫁を連れて翌日は結婚式を挙げるという一家団欒の晩に私達はお邪魔して凄いご馳走やおいしいお酒を頂き、テキサスは嫁と娘を先にホテルに返して夜が更けキるまでツートンと父ツートンと呑んでました
その時、思いの他白熱した会話のやり取りは、いずれまたチャンバーズ・ライブのMCでちょっとずつ披露できたらなと思っています。
テキサス達は初日はそのようにして渡部家の方々の暖かい歓待を受け、翌日は結婚式に参列した。
僕達の席から新婦の様子が伺えなかったのが残念だったけど、父ツートンと母ツートンが昔挙式されたという立派な神社で素敵な式でした。
その後、親戚の方々やツートンの友人、地元の縁のある方々が集まった立派な食事会にも厚かましく参加させてもらった。
東京から来てくれた友達の関口さんということでテキサスもひとこと挨拶させてもらいビシッと
「つとむ君は大丈夫です」
と言ってきたぜ。
幼児がチラホラいて、その中のひとりの男の子がテキサスの娘にアプローチしていたが娘は
「ナイナイ!」
と、叫び手を後ろに組んで断固拒否(ヴェトー)していたから、そこは父親として申し訳ないけど痛快でした。
その宴席の後、我々一家は姉ツートンからお借りした車を駆ってサファリパークに行きました。
テキサスも初めて行ったけど刺激的でした。
帰りがけに温泉に寄った後ツートンと合流してラーメンご馳走になりました。
翌日は水族館に遊びに出かけ、最後にまた渡部家に伺って挨拶して帰りました。
別府最高でした。
唯一のアレが、滞在したホテルに高名なプロ・スポーツ選手のトゥーリオ選手やそのチームメイトが宿泊していて、それがプレッシャーでした。
エレベーターでトゥーリオ選手と鉢合わせになったりしてアレでしたし、テキサスは深夜にホテルの大浴場に行こうと思ったんだけど、もしトゥーリオがいたらどうしようと思って入浴を断念したぐらいプレッシャーでした。
別府最高でした
別府っつーか渡部家最高でした
渡部家のみなさんおめでとうございました。
個人的にブラジルUFOと久しぶりにタイバンして楽しかった
楽しいなあ楽しいなあと思いながらブラジルUFOを見た
番長さんと久しぶりに少しだけ話したんだけど良かった。
久しぶりと言えば、トリのプンプクモヤシーズのベースが旧知のショウジ君で、おー久しぶり!ってなった。
チャンバーもショウジに、別角度からおー久しぶり!と言っていた
思えばなんか結構前に、ショウジ君が昔在籍してたバンドのイベントがやっぱドクターであって、そこに出たことでチャンバーズのテキサスとチャンバー&ベルベチンの縁が出来たような気がするぜ。
当時はベルベチンとチャンバーはザ・チキンマスターズで、テキサスも昔やってたバンドでだった。
こないだのドクターではなにも思わなかったけど、今フと感慨深いみたいな感覚を覚えたぜ
今フと、大田区は羽田本町のコインパーキングに停車中の車内で感慨深いみたいな感覚を覚えたぜ
プンプクモヤシーズだけどかつてあれほどモヤシに関する歌を歌ったバンドがいただろうか
テキサスが知る限りいない
でも世界は広いからきっと最低でも5バンドくらいはいるんだろうな
『もしも世界がもやしだったなら
もやしの海で泳ぎたい
もしも世界がもやしでも
おれはもやし続けてやるぜ』
一部を抜粋すると彼らはこのような歌を歌っていました。
…テキサス、面白と思ったからケータイにメモったんだぜ…
ムスタングジャークスの高森さんが来てくれた
後日の高森さんの日記を読んだんだけど
『昨日はチャンバーズとブラジルUFOを見に行きましたワオワオ』
みたいなことが書いてあって、ブラジルUFOのことはサイコーみたいな感想が書いてあったんだけど、チャンバーズに関してはその一切がノーコメントだったのでテキサスは逆に、高森さんのチャンバーズに対する深い愛情を強く感じたぜ
愛に溢れた夜でした
来てくれた人達、とにかくどうもありがとうございます。
感謝します
次回も精一杯頑張ります
ゴキゲンよう!